僕の施設の創始者の ”レオナルドチェシャ卿” が生誕100周年を迎えました。

100周年イベントは、
皆で100本のお花の苗を植えることでしたよ(*゚▽゚)ノ


そんな訳で、自分の施設の歴史を知ることができました((o(;△;)o))

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ところで、ここで時々感じるのは日本にいる時よりも、

利用者さん(レジデンツ)の”自立”とか”自主性”です。

なんでかな~と思ったときに、一つあるのは、
福祉とか介護の、そもそもの 出発点が違うからなんじゃないかと思うんですね。


日本の施設は増える高齢者を、お金のないなか、何とかするという発想から施設が作られていて、

僕の今いる施設は、
どうしたら自然に自立して生活していけるかという観点から施設が作られている気がしていたのです。


今回、歴史を知って、
このホームはホスピスや、宅老所のようなところから出発していたんですね。

以下ホームページより

1948年,レオナルド卿 (Sir Leonard Cheshire) は、末期癌の男を自分の家に連れて行きました。レオナルド卿は無償で自分の家を提供し、男を看護しました。

冷たい病院のベッドで過ごすより、みどりの芝生を眺め、家族や友人に見守られて余生を送るほうが幸せだと考えたからです。
彼らは友人になり、この親切な行為により、多くの人々がレオナルド卿に助けを求めて来ました。1949年の夏までに、彼はハンプシャー州の「リ・コート」の自宅に、病院や施設に収容されていた、高齢者や、複雑な病気、および障害などを持つ24人の人達が新しい暮らしの場を求めて移り住みました。

レオナルド卿だけでなく、、彼に協力してくれる友人や地域の人達、そしてボランティアと共に、このホームを運営していくことになりました。

「リ・コート」が設立されたとき、英国や、他の世界の人々は、地域社会の同様の在宅に対するニーズに応えて集会を始めました。 それが、”Leonard Cheshire Disability”として知られる慈善団体の始まりなのです。



さらに、一時期、レジデンツがホームを自主管理していたこともあったそうです。


この、「リ・コート」は、可能な限り、入居者の意思や自主性を尊重するよう、先駆的な取り組みを行っていました。たとえば「患者」と呼ばずに、「レジデンツ」と呼ぶ等の取り組みなど。しかし、60年代の終わりごろに、施設入居者による自治活動が施設批判へと展開し、ついには入居者による施設の「自主管理」という「異常事態」へと発展していきました。

その結果、その運動のリーダーは退去させらます。しかしながら、その後そのリーダーは「隔離に反対する身体障害者連盟」(UPIAS)という団体を立ち上げ、『障害の基本原理』という文書を発表しています。



なんでも、レジデンツに権限を与えすぎてしまって、

学生運動や、ストライキ?のようなことをレジデンツが行ったようです。


その後、追放されたリーダー達が作った団体や発表した声明が
その後のイギリスのノーマライゼーション(誰もが平等に生活できる社会という考え)に影響したようです。


今、会議をレジデンツとともに行ったり、レジデンツのリーダーが僕に指示をだしたりすることがあるのはそういった歴史があるからなのかな~と思いますね(*゚▽゚)ノ


説明が難しいんですけど、学校生徒があって、生徒会長(レジデンツのリーダー)がいるみたいな雰囲気があるんです。



リーダー自体、意思の疎通が難しい時もあるんですけどね( ´△`)




でも、僕が、間違ったことすると、何度も言い直して教えてくれます( ´艸`)







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